当写真館の館長の写真撮影ブログです。
北海道の絶景スポットや撮影旅の珍道中?!のお話。
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雪の北海道では、普通に見られる風景である。
この、足跡も、雪が降ると、消えてしまい新雪の上には又、新しい足跡が、描かれる。
今年は暖冬で、早い春の訪れとともに、足跡は見ることが出来なくなってしまう。
足跡という漢字は ソ・ク・セ・キ とも読む、
そくせきを、じ書で引くと、
今までその人が、してきたこと(業績) と、ある。
そーいやー故人の足跡(ソクセキ)を振り返る、とか立派なソクセキを残した。 ナンテコト言うもんなー。
だけどヨ~ ・・・・・
足跡は消えても、ソクセキは消えない、なんて、・・・・
これ、書きながら、オレのソクセキを振り返ると・・・・
「は~あ」
今降っている雪で消えないかな~ オレのソクセキ
撮影:千歳市郊外・朝陽
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(走古丹にて撮影)
最近の北海道、チョトした鹿肉ばやりだ。
薄野でも鹿肉ジンギスカンやらステーキやら、がメニューに登場してるし、
インターネットでも販売をしている。
道東を中心に鹿がふえすぎ、林業、農業に被害がでている、
というのが事の発端で、その増えすぎた鹿を、”食っちまおう”
いや、食材として利用しよう、新しい北海道の産業だ、ビジネスだ
云々、かんぬん、いきなり時の人(時の鹿だ!)として、注目の的
ならぬ鉄砲の的となった鹿君達に、四輪駆動車が押しかけ、
鉄砲の音が鳴り響き、スノーモービルが唸りを上げる。
たまに、チョィ悪オヤジがいて、
仕留めた鹿を山中に放置する(ひれ肉は、削ぎ落とし持ち帰る)
それを、大鷲や,オジロ鷲が食べて鉛中毒で死んでしまう。
蝦夷鹿の肉を食料として加工するのは、何も最近の話ではない。
明治11年に美々鹿肉缶詰製造所が作られた。(千歳から苫小牧へ
向かう途中36号線を早来方向へチョット入る)
当時は鹿の皮を目当てのハンターが大勢本州から来て乱獲していたらしい。
そして、鵡川や厚岸にも加工場が作られたのだが、明治12年、
記録的な大雪で、餌がなくなり餓死する鹿、餌を求め山から下りた鹿は、
人間に一網打尽にたたき殺された、
この年に死んだ鹿は数十万頭にのぼると云われている。
蝦夷鹿は絶滅寸前となり、わずか2年余りで
この事業は、終わってしまったのである。
3月3日は、ひな祭りでした。

雛飾りつつ、ふと命惜しきかな。
立子
女性にとっての、ひな祭りや、雛人形は、
なにか特別な想いがあるのかもしれない。
幼き日の思い出、そして現在に至るまで。
これまでの自分の人生を省みるなかで、
ふと頭を掠めたのは、子供のこと、家族のこと、
仕事を含め、行く末を見届けたいという生への執着
その思いは、毎年、雛人形を飾るという行為に、現れる。
高浜虚子の娘、星野立子は、昭和27年50歳をもくぜんに、
この句を読んだ。
亡くなったのは、昭和59年3月3日ひな祭りのときである。
彼女のお墓には、自筆のこの句碑が建てられているそうだ。
オレ自身、この句を読んだときの立子と同じ年代に差し掛かり、
これからの仕事や、人生を充実させるために、こだわりや、執着
できる目標を持ちたい!と思いつつ・・・・(命だけは、惜しい)
雛飾りつつ、ふと命惜しきかな。
立子
女性にとっての、ひな祭りや、雛人形は、
なにか特別な想いがあるのかもしれない。
幼き日の思い出、そして現在に至るまで。
これまでの自分の人生を省みるなかで、
ふと頭を掠めたのは、子供のこと、家族のこと、
仕事を含め、行く末を見届けたいという生への執着
その思いは、毎年、雛人形を飾るという行為に、現れる。
高浜虚子の娘、星野立子は、昭和27年50歳をもくぜんに、
この句を読んだ。
亡くなったのは、昭和59年3月3日ひな祭りのときである。
彼女のお墓には、自筆のこの句碑が建てられているそうだ。
オレ自身、この句を読んだときの立子と同じ年代に差し掛かり、
これからの仕事や、人生を充実させるために、こだわりや、執着
できる目標を持ちたい!と思いつつ・・・・(命だけは、惜しい)